ほんじゃらねっと

食と自転車とダイエットとたまにプログラミング

お気に入りは1つだけ

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女の子は小学生にもなると、それぞれ好みの男性アイドルを見つけるようだ。うちの娘達も嵐の誰々が一番、とかキンプリの平野紫耀くんが良い、とかテレビを観ながら言うようになった。やはりジャニーズが強い。

そこで「じゃあパパは?」なんてくだらない質問をしてはいけない。氷のような冷たい目で睨まれて無視される。もしくは懇切丁寧にパパとジャニーズがいかにちがうかを説明され、言葉で殺される。

女の子はみんな一時は「パパが一番!」みたいな感じになると聞いていたのだが、うちはまだだろうか。ジャニーズを知ったあとでまたパパに帰ってくるとは思えないのだけど。

それはさておき、娘たちのランク付けは非常にシビアなものである。新しくお気に入りのアイドルができると、昨日まで好きだったアイドルがテレビに出ていても「もう好きじゃない」と見向きもしない。

おもちゃや人形の扱いも同じだ。新しいお気に入りが決まると、前のお気に入りは他のおもちゃと一緒におもちゃ箱に封印される。たまに取り出されてもその他大勢と同じ人数合わせ扱いだ。生き残るためには興味を引き続けるしかない厳しい世界が出来上がっている。

自分も小学生の頃は同じようなことをしていた。いつも一番のお気に入りのおもちゃを肌身離さず持ち歩いていた。どこへ行くにもその1つのおもちゃだけを持っていく。新しいお気に入りができると、古いお気に入りのことはすっかり忘れて新しいお気に入りだけを持ち歩く。

自分が強い愛着を持つモノ

あるモノに対する愛着というか執着というか、そういう気持ちが強いと人は他の選択肢には見向きもしなくなるようだ。

子ども特有のものかな、とも思ったがそうでもない。考えてみると既におっさんである私にも「お気に入りは1つだけ」という愛着を持っているモノがいくつかある。

例えば仕事のメモや個人的なノートを記録しておく「ノートアプリ」に関してはかなり愛着が強い。その時点で最高だと思えるものを1つ決めて、それだけを使う。そうそうお気に入りが変わることはないが、もしより良いものを見つけてしまったら今使っているアプリの魅力は消え失せ、もうその新しいアプリしか目に入らなくなり、それしか使いたくなくなる。前のノートアプリで管理していたノートはすべて移行し、前のノートアプリは削除してしまう。

ノートアプリに対する深い愛についてはまた別の機会に語るとして、大人になっても数は多くないながらも強い愛着を感じるものがあるということだ。子どもがモノを「好き」という気持ちで選んでいるのに対して、私はどちらかというと「利便性」で選んでいる節があるので全く同じとは言えないが、「愛着」という意味では同じ類の気持ちと言えるだろう。

愛着の強弱と好みの抽象化

「1つのものしか愛せない」かどうかがその人の性格によるかというと、そうでもない。

例えばうちの子なら公園で遊ぶのは好きだけど、「この公園でしか遊ばない!」とは言わない。どこであれ公園であれば満足できるのだ。私も文房具は好きだけど「このペンしか使わない!」と他のお気に入りのペンを全部捨てたりはしない。

大人か子どもかに関わらず、人によって愛着の強いモノ・弱いモノがあるということだ。愛着の強いものは「特定の対象」以外見向きもしないけど、そうでもないものはもう少し抽象化されて「こういう感じのものはだいたい好き」みたいな扱いになる。

子どものうちは物事を抽象化・グループ化できるほどモノの種類を知らないので、特定の対象に強い愛着を持ちやすい。

その愛着の強さにより「子供っぽいワガママ」に見える行動が起こる。数日前は喜んで食べてたメニューを今日は「絶対食べない!」と言い張ったり、お稽古への送り迎えだけなのに「ママじゃなきゃイヤだ!」とパパを拒否したり...。

「ママじゃなきゃイヤ」問題については年齢が上がるにつれて抽象化され、いずれ「親ならどちらでも良い」という気持ちに変わっていく。このような理由があると思っておけば、拒否されるパパも受けるダメージが多少はマシになるというものだ。

好きになれるものを探す

上にも書いたけど、子どもと自分の愛着の持ち方を比較していて、どうも自分の愛着は「利便性」しか見ていないのが人間として良くない気がしてきた。大人になったからか性格の問題かは分からないけども。

利便性じゃなく「好きだから、好きなんだー!」みたいなあふれる熱い気持ちで愛着を注げる何かを探してみたい。