ほんじゃーねっと

おっさんがやせたがったり食べたがったりする日常エッセイ

AIの力を借りて「ぬり絵」作りに挑戦

画像生成AIで遊んでいたら、昔子どもたちのためにぬり絵を自作しようとして失敗した時のことを思い出した。

うちの子たちはぬり絵に対する情熱が熱すぎて、ぬり絵本を買っても買ってもすぐに塗り終えてしまう。塗れば塗るほど技術は上がって塗る速度は速くなっていく。 私はぬり絵本を供給する側として、週末が来るたびに本屋をまわって新しいぬり絵本を探し続けなければならなかった。

そんなぬり絵探しの日々に疲れた私は「見つからないなら描くしかない…!」と自らぬり絵を生み出す方法を考えるようになる。

手っ取り早いのは子供たちの好みの絵をサラサラっと描いて「はい、塗り絵だよ」渡すことだろう。好きなキャラのぬり絵を描いてやれば大喜びだ。 その画力があれば。

残念ながら私はそのような画力は持ち合わせていなかった。一応ものは試しと子どもたちが好きなディズニープリンセスを描いて渡してみたら、案の定描かれているのがどのプリンセスかすら伝わらず見向きもされなかった。

そんな仕打ちも受けつつ、画力に頼らない方法を求めてたどり着いたのが「写真を線画にする」という方法だ。写真画像を読み込ませるとその輪郭だけを抽出して線画だけの画像にしてくれるツールをがんばって作った。

左が元写真で右が線画

このツールを使うとこんな画像ができる。

梅田のビル群

公園

大人向けの塗り絵という感じの画像ができて私としては大変気に入っていたのだけど、子どもたちにはちょっと伝わらなかったらしい。 「かわいくない」と一蹴されてしまった。

…確かにかわいさは考慮してなかった。

こうして作戦は失敗し、その後もぬり絵本を探しては買い続ける日々が続いたのだった。

それから数年が経ち、今。

私は「画像生成AI」という足りない画力をカバーしてくれる存在と出会った。あらゆる画像を想いのままに生み出せる力を手に入れたのだ。 AIの画力を使えば、あの子たちが満足するぬり絵だって作れるはずである。

よし作ろう。

アニメっぽい塗り絵なら「にじジャーニー」が作りやすい

今回使う画像生成AIはお気に入りのMidjourneyではなく、その派生でアニメ画像に特化した「にじジャーニー」だ。Midjourneyのアカウントがあれば使うことができる。

nijijourney.com

にじジャーニーの良いところは日本語で書いたプロンプトを認識してくれるというところだ。いちいち翻訳しなくていいのはありがたい。

「/imagine 塗り絵,魔法」というふうに、「塗り絵」というキーワードとともに望むシチューションを表す言葉を入れるだけでこんな画像を作ってくれる。

まさに求めていた塗り絵っぽさ

一を聞いて十を知る。にじジャーニーは仕事ができるやつだ。 出来上がる画像はかわいさ、難易度ともに子どもたちが満足してくれそうなレベルである。

いざ、ぬり絵制作

早速にじジャーニーを使ってぬり絵を作っていく。 どうせなら市販のぬり絵本のように、ストーリーがあった方が良いだろう。今回は童話「赤ずきん」をテーマにして作ることにする。

赤ずきんのストーリーはこんな流れ:

  1. 赤ずきんちゃんがお使いを頼まれて森のおばあさんの家へと向かう
  2. 途中で一匹の狼に遭い、唆されて道草をする
  3. その間に狼はおばあさんの家へ行き、おばあさんを食べてしまう
  4. 赤ずきんちゃんがおばあさんの家に到着し、おばあさんに化けていた狼に食べられてしまう
  5. 満腹になった狼が寝ているところに猟師が通りかかり、腹の中から二人を助け出す

さてこれらの文章をにじジャーニーに渡すだけで良い感じの画像ができるなら簡単なのだけど、まだそこまでのことはできないらしい。AIに描いてほしい状況がうまく伝わるように文章を工夫する必要があるのだ。この辺りがAIを使う側の腕の見せ所なのだろう。

しかし私はAI初心者。がんばってみたのだけど、どうしてもストーリーに合う絵ができなかった。 なのでしかたなくストーリーの方をアレンジすることにした。ぬり絵メインなのだからストーリーはそれっぽければ良いのだ。

そうしてできあがったのがこんなお話のぬり絵である:

ある森に赤ずきんちゃんと呼ばれる女の子が住んでいました

赤ずきんちゃんはある日森で子狼と出会います。お腹をすかせているようだったので、パンを分けてあげました

狼は赤ずきんに懐き、ついてまわるようになりました。そしてどんどん大きく育ち、赤ずきんちゃんを森の危険な生き物や街の男たちから守りました

二人は赤ずきんちゃんがおばあさんになっても変わらず仲良く幸せに暮らしました

時が経ち、やがて一人になった狼。赤ずきんちゃんとともに過ごした森を守り、寂しくなれば二人の小屋で眠ります。眠ればまた夢の中で赤ずきんちゃんに会えるのです

一方赤ずきんちゃんが狼に食べられなかった結果、物語に登場する機会を失った猟師。役割がなくなった彼は平和な人生を過ごし、静かに森に還りました

原作と全然ちがう話になっちゃったけど、何となく童話っぽくなったので良しとしよう。

せっかくのオリジナルストーリーなので、猟師の顔を自分の顔にしてみた。自分が描いた(描いてないけど)作品に登場する、というのを一度経験してみたかったのだ。

AIでぬり絵づくり…意外と難しかった

作ってみた感想としては、ぬり絵づくりは思ったよりも難しかった。ぬり絵に限らず画像生成で細かいシチュエーションを決めて作るのはなかなか難しいようだ。

AIにも「赤ずきんと言えばこう!」というこだわりがあるのか、わりとこちらの指示を無視した画像を出してくる。どこが譲れてどこが譲れないのかを見極めつつ、言い方を優しくしてみたり言葉を変えてみたりして歩み寄る必要があるのだ。まるで思い込みの激しいイラストレーターを相手にしているようだった。

あと、複数の人物を登場させるのが苦手なのか、うまくいかない。赤ずきんちゃんとおばあさんと狼を描きたいのに、三人ともケモミミがついていたり、赤ずきんちゃんとおばあさんが同じ人物になっていたりする。

私がまだ知らないだけで良いやり方があるのか、AIの苦手分野なのかは分からないが、引き続き解決方法を探してみたい。

子どもたちにお披露目

さて、ひとまず良い感じのぬり絵ができたので喜び勇んで子どもたちに披露してみた。

だが彼女たちがぬり絵を塗ってくれることはなかった。 ぬり絵にハマっていたのは数年前。とっくの昔に卒業しているのだ。

まあやる前から分かってました。分かってても、あの時失敗したぬり絵自作作戦を完結させたかったのだ。だから今私は満足している。

我が子らにはちょっと遅かったが、小学校低学年くらいの子供ならばきっと楽しめると思う。ぜひオリジナリティ溢れるぬり絵を作って親子で楽しんでもらいたい。

スイーツの香りで脳をだます。フラペチーノよりも甘かった私のダイエット作戦

私はもうダイエットができない体なのかもしれない。

勉強や運動ならば続けていればいつかは成果が出ると信じることができる。だけどダイエットについては何年続けても成果が出る気がしない。 だっていろいろやってるのに体重が三ヶ月前から変わっていないのだもの。

ダイエットを成功できるのは、神に選ばれし限られた者たちだけなの?

それとも私のダイエット神への信仰心が足りないの?? 食事の前には「このカツ丼のカロリーがゼロになりますように…」と祈り、体重計に乗る前には「なにかのはずみで体重が5kg減ってますように」といつも祈っているのに。

神よ…あなたは私を見放されたのでしょうか…!

…なんてふざけた神頼みは置いておくとして。

実際のところ体重は減っていないしそれはそれで困ったことなのだけど…今回に限ってはダイエット失敗の原因ははっきりしている。

スイーツの食べ過ぎだ。

スイーツ欲ってな…爆発すんねん

私の脳はスイーツ欲に侵されている。

スイーツ欲とはその名の通り、スイーツを求めてしまう欲求。

最近何だか無性にスイーツが食べたくなっちゃうの…というような生易しいものではない。ひとたびそれが爆発すれば、ダイエット中だろうが何だろうが「ワタシハ、スイーツヲ、タベネバナラナイ…ゼッタイニ!」という謎の使命感に支配され、目についたスイーツをすべて平らげるまで止まらなくなってしまう。強すぎてとても抗えない欲求なのである。

一例として、つい先日私がスイーツ欲爆発に見舞われた際の一連のツイートをお見せしよう。

秋のスイーツ祭りに翻弄され、乱心気味のツイート。 これはまあしかたない。ダイエットとは誘惑との戦いだ。9月って急にいろいろおいしそうなスイーツが出回るから。 どれだけ誘惑に負けそうでも、食べさえしなければ問題ないのだ。

しかし既に私の頭の中ではスイート欲が爆発していた。

食べちゃってる。次の日に早速1つクリアしちゃってる。 達成感すら漂う、罪悪感のかけらも感じさせないツイート。 クリアしなきゃいけないのは秋のスイーツ制覇ではなくダイエットなのに、もうスイーツしか見えていない。

次の日も。

家族の人数(4人)を超える数のドーナツを買い、少なくともそのうち2つは食べたことが伺えるツイート。

その後も数日も空けずにゴンチャの巨峰まみれを飲み、チーズケーキを食べ、ビアードパパの新作を買いに走り…とスイーツを貪りつづけた。

その結果、数カ月かけて下げた体重がたった数日ですっかり戻ってしまったのだ…。

このようにひとたびスイーツ欲が爆発すると、前日までダイエットを頑張っていた人でも我を忘れてスイーツを貪り食い始めてしまう。 そんな恐ろしい欲求なのである。

スイーツ欲爆発を防ぐ作戦

このままスイーツ欲が暴れるままに身を任せていては、ダイエットなんて成功するはずがない。むしろ体重の過去最高記録を更新してしまう可能性の方が高い。

よし真剣に考えよう。

スイーツ欲を満たすには、スイーツを食べるしかないのだろうか?

欲求が生まれるのも解消されるのも、脳内の話だ。 脳が「スイーツが足りない!」と判断すればスイーツ欲が爆発するし、「十分にスイーツを食べた」と判断すればスイーツ欲は落ち着き、まともな人間に戻れる。 それならば実際にスイーツを食べなくても、あたかも食べたかのように脳に錯覚させればスイーツ欲は解消できるのではないか。

そこで閃いたのが「甘い香りでスイーツ欲を満たそう」大作戦だ。

嗅覚への刺激というのは他の刺激と比べて脳に影響を与えやすいと聞いた。 例えば癒やされる香りを嗅げば、それだけでストレスは低減し、疲労が回復するらしい。 ならばスイーツを食べなくてもスイーツの香りを嗅ぐだけでスイーツ欲をある程度満たすことができるのでは?…という作戦である。

香りがまるでスイーツな低カロリー食品を探せ

香りだけで脳が騙されてくれるかちょっと心もとないので、何かしら食べる体を取りたい。香りは高カロリースイーツ、でも食べたら低カロリーな食品を探して試すことにした。

低カロリーのスイーツとしてまず思いつくのは、蒟蒻畑などのこんにゃくゼリーだ。1つが26kcal。

www.mannanlife.co.jp

フルーツの香りもするし、あの食感がたまらない。私はクラッシュされたものよりもかみごたえのある大きいものの方が好みだ。

しかし残念ながらスイーツ感という点においてちょっと物足りない。 スイーツというのはもっとこうチョコだとかクリームだとか、これ絶対カロリー高いよね…と罪悪感を感じさせるものでなければならないのだ。

そういう意味では蒟蒻畑の中でもフォーグルメシリーズが理想に近い。

www.mannanlife.co.jp

プリンの味で28kcal。すばらしい。 難点はなかなか売っていないということと、味のバリエーションがまだ少ないということ。ガトーショコラ味とかチーズケーキ味とかバニラアイス味とか出してくれたら最高なのだけど。

続いて考えたのが高カカオチョコレート。高カカオはダイエットに良いと聞いたことがある。そしてチョコのあのカロリーを感じさせる香り。確実にスイーツ欲を満たしてくれるだろう。

www.meiji.co.jp

1つ5gでおよそ30kcal。小さい…!! 1粒で満足できるなら問題ないのだけど、1つだけでやめられる気がまったくしない。気づいたら10個は食べてそうだ。10個食べれば300kcal。フラペチーノとほとんど同じカロリーじゃないか。 同じなら大好きなフラペチーノを飲むわ。

そんな自問自答やら本末転倒やらもありつつ、たどり着いたのが「フレーバーコーヒー」だ。

フレーバーコーヒーというのは、コーヒーに様々な香りを加えたものである。香りを加えているだけなのでカロリーはブラックコーヒーとほぼ同じ。

カルディで見つけたのだけど、ちょっとこのラインナップを見てほしい。

www.kaldi.co.jp

www.kaldi.co.jp

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パンケーキにモンブラン、チョコバニラ…。スイーツで人気のカフェなの?というくらいの高カロリー感漂う素敵なラインナップ。

チョコバニラフレーバーを飲んでみたら、味はブラックコーヒーなのに香りはまるで甘いクリームがたっぷりかかったチョコドリンク。150kcalくらいの甘いスイーツを食べたかのような罪悪感があるのに、実際はたったの6kcal。蒟蒻畑の1/4という破格の低カロリーだ。

まさに求めていたものである。

ゆっくり時間をかけてフレーバーコーヒーを飲みながら、その甘い香りを吸い続ければ、きっとスイーツ欲も消えてなくなるにちがいない。

作戦は成功…?さっそく忍び寄る破綻の予感

それから数日。

フレーバーコーヒーを飲むようになってからスイーツ欲は爆発していない。

フレーバーコーヒーのスイートなスイーツの香りとコーヒーの味は、まるでカフェでケーキセットを食べているかのような気分にさせてくれる。 毎日ケーキセットをいただいてるのに太らないなんて最高ですわ。

でもね。

人というのはたとえ最初は満足していてもそれに慣れてしまうとさらに多くを望んでしまうもので。

パンケーキの香りのコーヒーを飲んでいたら当然そこから想像は膨らんで、カフェでクリームたっぷりのパンケーキを食べている姿を想像してしまうわけで。

そんな時にふっと頭をよぎる

「本物が食べたい…」

というフレーバーコーヒーの存在意義をひっくり返すような気持ち。

もちろんそんな気持ちがよぎるたびに頭を振り「ダメダメ!そっちに行ってはダメ!」と自分に言い聞かせている。それはこの作戦におけるタブーだから!

なんせスイーツが食べたくなる気持ちを香りでごまかしているだけなのだ。本物のスイーツの見た目や味、舌触りには当然かなわない。しかしこの作戦を続けるなら、その事実には気づかないふりをしないといけないのである。 作戦が破綻しちゃうから。またスイーツ欲爆発しちゃうから。

もちろんそんなことは分かっている。いくら私でもほんのちょっと前にした失敗をまた繰り返すようなことはしない。

だからふと気を抜いた時に…自分がコメダ珈琲に突撃してパンケーキだけでなく安納芋スイートポテトシロノワールやらスイートポテトジェリコまで貪っている姿がやけに鮮明に思い浮かぶようになってきたのは…もちろん気のせいにちがいないのである。

我が子に海外旅行の魅力を伝えるために架空の旅行写真をつくる

家族で海外旅行に行きたい。

ハワイとかヨーロッパとかタイとかオーストラリアとか家族で行ってみたい場所がいくつもある。行く気もあるし休みも取れそうなのだけど…問題は子どもたちがカケラも興味を持ってくれないということだ。

あの夢の国ディズニーリゾートですら「まだいい」と断る手強い娘たちである。このままではディズニーリゾートの楽しさも海外旅行の楽しさも知らないまま大きくなってしまいそうで不安だ。 どうにかして興味を持ってもらい、みんなで旅行に行きたい。

楽しそうな旅行写真を見れば行きたくなるのでは?

「旅行に行きたい!」という気持ちがどういう時に湧いてくるのかと考えてみた。

私たちは日頃から海外旅行のことを考えているわけではない。「そういえば海外旅行って楽しいよね」と思い出すようなきっかけがあり、それからむくむくと旅行したい欲が盛り上がってくるのだ。

イメージしやすいのは旅行から帰ってきた友人に旅先で撮った楽しそうな写真を見せてもらった時。海外ならではの豪快な料理とか、現地でしか見られない景色とか、非日常を楽しんだ話を聞きながら写真を見るうちに「いいな~私も行きたいな~。よし次の休みは絶対どこかへ行こう!」とすぐにでも旅行に行きたい気持ちになっている。

我が娘たちもきっと自分が海外旅行を楽しんでいる具体的なイメージが湧いていないだけで、誰かが楽しんでいる写真を見てイメージできるようになれば旅行に行きたくなるはず。

そんな羨ましくなるような楽しげな旅行写真がないかとスマホのカメラロールを遡ってみたら、5年前に行ったフィリピン出張の写真が何枚か出てきた。私も写っている。

しかし仕事だからかどの写真の私も顔に「さっさと帰りたい」という気持ちが出てしまっていて全然楽しそうじゃない。こんな目が死んだ写真を見せてしまったら逆効果だ。二度と旅行に興味を持ってくれなくなる。

他にも探してみたけど結局良い旅行写真は見つからなかった。

手持ちの写真が使えないならしかたない。

捏造しよう。

写真がないなら作ればいいじゃない

今はどんな写真だって簡単に生み出せる時代。

必要な写真がないなら作ればよいのだ。画像生成AIを使えば、行っていない旅行の写真を作ることなど造作もない。

AIを駆使して「あたかも楽しい海外旅行に行ってきたかのようなフェイク旅行写真」を作る。それを娘たちに見せて興味を抱かせ、旅行に誘い出すのだ。 詐欺の手口のような文章になってしまった。

今回は私が海外旅行をめちゃくちゃ楽しんでいる写真集を作ってみようと思う。身近な人間が楽しんでいる姿の方がイメージしやすいだろう。 パパが一人で楽しそうに観光したり美味しいものを食べたりしている写真を見れば娘たちもきっと旅行に行きたくなるはずだ。

私ではなく妻の写真を使うことも考えたのだけど、なんとなく怒られそうな予感がしたのでやめておいた。

画像生成AIで指定した人物が写った写真を生成する方法

今回はいつもタイトル画像の作成でお世話になっているMidjourneyを使用する。他の画像生成AIでも多分似たような方法で作れると思う。

Midjourneyは「こういう画像がほしい」とテキストを渡すと、それに合わせて写真やイラスト画像を作ってくれるツールだ。基本的な使い方はこちら。

sogyotecho.jp

Midjourneyで画像を作る際にパラメータで「この写真に写っている人物を使う」と指定すると、その人物を画像に登場させてくれる。こちらの記事を見ながら試した。

ascii.jp

実際試してみると最初のうちはなかなか思い通りの写真ができなかった。 写真を作ること自体は簡単なのだけど、自分が期待したシチュエーションにならないのだ。テキストを調整しては画像を生成し…また調整して…ということを繰り返して徐々に求める形に近づけていく。

コツを掴むとどう書けばどんな画像ができるのかが分かるようになってきて楽しい。英語力と語彙力がちょっとだけ上がった気がする。

完成したフォトアルバム

今回の行き先は先日オリンピックが開催されたフランスである。 それらしい旅行シチュエーションを思いつく限り写真にしてみた。

機内食も旅の楽しみの1つ。これもフランスの料理かな?

パリ到着。まずはエッフェル塔を観に行きました。

凱旋門。近づいてみると彫刻がきれいだったよ。

本場のワインを飲みながら本場のフランス料理をいただきます。

ワインがおいしくて飲みすぎた~

フランスの朝食といえばカフェ・オ・レとクロワッサン。香りが良い。

オリンピックを観戦。国中がお祭り騒ぎで楽しかったよ。

モンサンミッシェルを撮影。もうちょっと近くで撮ればよかったかな…。

帰る前におみやげ選び。何を買ったら喜ぶかな?

大誤算

若干不自然なところはあるものの、それっぽい旅行写真になっていると思う。その点については期待通りだ。

大きな誤算だったのは写真に写っているのが私ではなく…「私に似た別人」になっているということだ。

おそらくMidjourneyのフェイク画像対策により、ベースにした写真と完全に同じ顔にはならないように配慮されているのだろう。今回ばかりはその配慮はいらなかった。

結果できあがったのは、パパに似た知らんおっさんが楽しそうに旅行しているフォトアルバムである。果たしてこれを見た娘たちが旅行に行きたい気持ちになってくれるのか…ちょっと…いやかなり不安がある。

そんな失望を知ってか知らずか、写真の中のおっさんたちはみんな楽しそうだ。

その姿を見ていて幸せな気分になってくるのは、彼らが自分に似ているからなのか、それとも自分が生み出した子どものようなものだからなのか。 見た目は実際の私よりちょっと年上だけど。

アルバムを編集しているうちにそんなおっさんたちが何だかかわいく思えてきて、気がつけば写真のシチュエーションのためではなく彼らの良い笑顔を引き出すために何度も写真を作り直していた。

楽しそうだし、まあいいか

このまま娘たちに見せたとしても、案外良い反応が返ってくるかもしれない。

名探偵になるためだから

年齢を重ねるにつれ、何かを続けることの大事さというのをひしひしと感じるようになる。今の自分に残っているものが「やめなかったこと」だけだと分かってくるからだ。

そうなると何かを新しく始める場合も必然的に「長く続けること」を前提として考えることにわけで、長く続けるとなると当然それなりに時間なりお金なりを使うことになるわけで、結果それを始めることが今後の自分や家族の生活にどのような影響を与えるかを考えたり話し合ったりして決める必要が出てくるわけで…。 時にそれが家族との絆の強さなり弱さなりを垣間見せるものになったりする。

我が家では土曜日の夕方は「名探偵コナン」を観ることになっている。

妻と娘たちが好きで毎週観ているのだ。私はたまに見逃すのだけど、サザエさんとちがって人間関係がどんどん変化していくので、大事な回を見逃すと初めて見るキャラが主要キャラと仲よさげにしていたりして「ええっ、この二人付き合ってんの!?」と戸惑うことになる。コナン視聴もまたサボらず継続することが大事なのだ。

今週も知らんキャラが何人もいて戸惑う私を置いてけぼりにしつつ、コナンくんはあいかわらず大人顔負けの大活躍をしていた。刑事さんたちも慣れたもので、小学生が事件を解決してしまうことについてもはや何の疑問も感じなくなっている。困った時も上司に電話するより先にコナンくんに電話して助けを求めていた。

コナンくんは「この匂いは!?それを飲んじゃダメだ!」と毒殺を回避し、「あれれーなんだかこっちから甘い匂いがするよー」と隠された証拠品を見つけ出し、着々と事件を解決へと導いていく。

コナンくんは鼻が異常なほど利く。 事件を嗅ぎつけ、証拠を嗅ぎ出し、犯人を嗅ぎ分ける。コナンくんの事件解決能力はもしかしてその鼻の嗅覚に支えられているのではあるまいか。

あの嗅覚がなかったらきっと事件解決までもっと時間がかかっていたことだろう。毎週30分の間に殺人事件を解決するのは常人には難しい。

そんなことを考えていたらちょっと心配になってきた。

米花町では毎週のように事件が起きているが、事件は米花町でしか起こらないわけではない。うちの家族だっていつか黒の組織的な組織に狙われる可能性がないでもないのではないか。

しかしこの町にコナンくんはいないし、私の嗅覚は鈍い。

その代わりにといってはなんだが妻は私よりも100倍くらい嗅覚が鋭く、私がちょっとでも匂いを発していると遠くにいてもすぐに気づいて「クサッ!クサいよ!?」と強めに教えてくれる。もしかしたら彼女こそわが町のコナンくんなのかもしれない。

だが妻の嗅覚はあくまで私への愛ゆえの、私の匂い限定の能力である可能性がある。それに妻は仕事があるしいつでもそばにいるとは限らない。たとえば今のような夏休み期間中などは在宅勤務で家にいる私が子どもたちを守らねばならないのだ。

やはりここは私自身が嗅覚を鍛えるしかあるまい。

そんな使命感と家族愛に突き動かされた私はすぐにワインを買いに走った。

事件といえば毒殺。毒殺といえばワイン。 そこにワインがあるだけで犯人は毒を入れたくなるし、被害者はなぜかそれを飲みたくなってしまう。ならばまずは何をおいてもワインの香りに慣れ、不自然な香りを嗅ぎ分けられるようになっておくべきだろう。 そもそも自分以外の家族は酒を飲まないのにワインに気をつける意味があるのかって?もうワインを買ってしまったのだ。そんな正論こそ意味がないので捨ててしまいなさい。

ワインには複雑な香りが含まれており、精通するとそれらの香りが嗅ぎ分けられるようになると聞く。つまり現時点では赤ワインの香りをただ「赤ワインの香りだね…」としか認識できない私の嗅覚も、毎日香りを嗅ぎ続けるうちに鍛えられ、微細な香りを嗅ぎ分けられるようになるのだ。 そうなれば飲み物にこっそり混ぜられた睡眠薬や毒薬だって簡単に看破できるはずである。

もちろん私にも迷いはある。本当にワインで良いのか?たまには日本酒や焼酎を挟んだ方がよいのではないか? そこは追って検討したい。

大事なのはこの習慣を継続すること。コナンを観続けないと登場人物が次々増えていくのについていけないのと同じ。飲み続けないとワインというものを真に理解することはできないのだ。 ただ飲みたいだけじゃないの?と鋭い指摘を受けるかもしれない。酔っ払って倒れてしまうこともあるかもしれない。そんな辛い目に合うことも予想されるが、家族のために頑張るつもりである。

…とこんな感じで説明すれば毎晩晩酌にワインを飲むことを正当化できるのではないかと目論んで妻娘に話していたのだけど。 途中で興味を失ったらしく「ワインを買いに走った…」あたりから誰も聞いていなかった。その後が聞いてほしいところだったのだが。

君になら踏まれても

先にお伝えしておくと、これは私の「女性に顔を踏まれたい」という性癖をカミングアウトする話ではない。また、以前書いたお話で開きかけた「裸足フェチの扉」をさらに大きく開け放ったという話でもない。 なのでどうか安心して読み進めてほしい。

blog.honjala.net

人に顔を踏まれるという状況はなかなかないと思う。 ないと思うけども、もし踏まれたらたいていの人は怒るはずだ。「人の顔を踏むなんてどういうつもりだ」と。私だって怒る。

さっきまではそう思っていた。

それはついさっき踏まれることの喜びに目覚めちゃったから…というわけではなく。

夕食後にソファに座ってテレビを観ている時、はたと気づいたのだ。同じソファで横になっている次女の足裏がさっきからずっと私の頬に押し付けられていることに。顔を踏まれているのだ。あまりにも当たり前のように踏まれているので何の違和感もなく受け入れていた。あやうく気づかず過ごすところだった。

違和感がなかったのは、この習慣が次女が保育園児くらいの頃から続いているものだからだ。 ソファでゴロゴロしている子どもというのはジッとしていない。最初は私の膝に乗せていた足をおなかに乗せたり肩に乗せたり、顔に押し付けたりする。私も顔を踏まれているという感覚はなく、まあ子供だから動くよね、と受け入れていた。そんな受け入れが続くこと早数年。すっかり大きくなった娘に顔を踏まれていても違和感を感じなくなっていた、というわけだ。 次女の方も何も違和感を感じていないのだろう。当然のような顔をして私の顔を踏んでいる。

私が踏まれている姿がさっきから目に入っているはずの妻も長女も何も言わないのだから、慣れというのは恐ろしい。

話を戻そう。そんな感じで次女に踏まれながら思ったのだ。 顔を踏まれたら普通怒るよな?と。

知らん人に踏まれたら当然怒るし、友人に踏まれてもかなり怒ると思う。 子どもではなく妻に踏まれたら…怒るか…泣くか…それとも「新しい君を見せてくれたね」と喜ぶだろうか。いやいや。喜ぶという選択肢を考えた自分が怖い。

子育て中に子どもから受ける仕打ちは顔を踏まれるだけにとどまらない。

グーで顔を殴られたこともあるし、両頬をダブルビンタされたこともあるし、背中でジャンプされたこともあるし、オシッコやウンチをかけられたこともあるし、背中をゲロまみれにされた(抱っこ中に吐いた)こともある。

どれも他人から受けたら怒り爆発するような仕打ちばかりだ。それが我が子だと怒るどころか良い思い出になっているのだから不思議。

グーで殴られた時はせっかくの機会なので「殴ったね!親父にもぶたれたことないのに!」と機動戦士ガンダムのアムロを演じた(怒ってはいない)。その場面を目撃した妻はそのセリフを知らなかったようで「こいつ何言ってんだ」みたいな顔をしていたが、いつか言ってみたかったセリフが言えたので満足している。

子どもたちがこれからさらに成長して高校生になったら、次はどんな仕打ちを受けることになるのだろう。 女子二人だからきっと言葉責めが中心になるはず。 「あっちいって」「こっち見んな」「どけ」「クサい」「ダサい」「ハゲ」「デブ」「ジジイ」と…あれ、ここまで来ると辛いな。想像しただけで効いてきた。

慣れか。これも慣れなのか。 顔を踏まれても何も感じなくなっているのと同様に、何度も罵倒されるうちに罵倒されることが当たり前になり「今日もひどいお言葉をありがとうございます~」みたいな感じになってしまうのか。 それはそれで扉を開いちゃってる感があるが大丈夫なのか。

結局何が言いたかったかというと顔を踏まれたり罵倒されたりするのも受け入れてしまえば悪くないというか、こうやって言葉にすると結局性癖の話をしてるみたいになってしまうというか、ほんとはもっと子育てって結局良い思い出になるよねみたいな良い話にしたかったのになんでこうなってしまったのか分からないというか。

洗濯機はプレッシャーを感じない

ここ数日間、我が家の洗濯機に引退を勧めている。

ゴトゴトとまわる洗濯機の前で「君はもう十分働いた」「毎日働き続けて疲れただろう」「後のことは任せろ」と執拗に声をかけ続けている。 聞こえているのかいないのか、今のところ一向に退く様子がない。

私がなぜこんな部下に早期退職をせまる上司のようなことをしているかというと、最新型の洗濯機を導入したいからだ。

洗濯という家事は大変めんどくさい。

洗濯機をまわし…終わったら洗濯物を取り出してハンガーに通し…外に干して乾くのを待ち…乾いたらまた取り込んで…1つずつ畳んで…然るべき場所にしまう。 この手順の多さよ。洗濯機より私の方ががんばっていないか。

そのうえこの手順の中でいちばん大事な「乾くのを待つ」部分はお天気任せだ。曇れば乾かず、風が吹けば飛ばされる。雨が降ったらそもそも干せない。洗濯責任者である私はずっと天気を気にしていないといけない。

そろそろ思春期の娘たちが「パパのパンツと一緒に洗濯しないで!私が自分でやる!」とでも言ってくれれば(落ち込むだろうけど)この任から解放されるのだが、まだその様子もない。

ほかにもハンガーが絡まった時にめっちゃムカつくとかまだまだ文句はあるけれど、そういうのも全部含めて洗濯という家事がめんどくさくてしかたないのだ。

このめんどくささの最大の原因は結局のところ「洗濯物を外で干して乾かさなきゃいけない」という点にある。洗濯した洗濯物が最初から乾いていれば畳んでしまうだけでよいのだから。

そして現代の洗濯機には既にそれを解決する機能がついている。 乾燥機能だ。乾燥機能を使って乾燥させればいい。 それは知っている。

我が家の洗濯機にだって乾燥機能はついている。 しかし問題はその乾燥機能がとても完璧とは言い難いということだ。

数時間かかった乾燥がようやく終わったと思って取り出すと、全体のだいたい20%くらいの洗濯物が湿った状態で出てくる。乾いているものと乾いていないものをいちいち振り分け、乾いていないものを改めて干すという作業が必要になる。 そんなだからこの乾燥機能は妻には存在しないものとして扱われ、雨の日は私が室内のあちこちに洗濯物を干すはめになっている。

乾燥機能がついているのにちゃんと乾燥できないとはどういうことか。

まあたしかに我が家の洗濯機はちょっと旧式の縦型洗濯機だ。その時代は乾燥機能というのはおまけ程度の扱いだったのかもしれない。

もしくはうちの洗濯機だけが乾燥機能に何らかの動作不良を起こしているとか。

我が家には掃除は上手だけど音がうるさすぎて買って2日で封印されてしまったロボット掃除機とか、年に数回排水の仕方を忘れてキッチンをビショビショにしてしまう食洗機(祈りながら使っている)とか、動きがちょっとおかしい家電がいくつかある。 家電運が悪いのか、それとも家族の誰かが家電をおかしくする電波を出しているのか。 どっちもイヤだな…。一旦こちらの可能性は考えないことにしよう。

洗濯機が旧式だからちゃんと乾燥できないというなら、最新型の洗濯機を導入すれば良いわけだ。2024年製ともなれば完璧に乾燥してくれることだろう。

そして最新型といえばドラム式洗濯機。 ドラム式洗濯機はコインランドリーでも使われているし、何だかすごく乾燥してくれそうな気がする。

最新型のドラム式洗濯機を導入すれば、私は洗濯物干しという苦行から解放されるにちがいない。そうなれば1日のストレスの大半がなくなるといっても過言ではない。 もう毎日乾燥させちゃおう。晴れた日に外で洗濯物を干した時のおひさまの香り?そんなものはいらぬ!

そうと決まれば一刻も早くドラム型洗濯機を導入したい。

早速妻にねえねえ聞いてよと相談してみたのだが…一蹴されてしまった。 まだ今の洗濯機は問題なく動いているでしょう?と。

乾燥機能がちゃんと乾燥してくれないという私にとっては重大な欠陥があるのだが、妻の中ではもうその乾燥機能自体がなかったものとされている。つまり今の洗濯機は何の問題もなく動いていることになっているのだ。

他に問題が見つからない限り、新しいお高い洗濯機を買う許可は下りそうにない。私の1日の大半のストレスがかかっているというのに…。 家族にとっては洗濯機が乾かそうが私が干そうが、結局洗濯物が乾くことに変わりはないということか!くそう!

…もうこうなったら今ある洗濯機に壊れてもらうしかない。

というわけでこうして毎日洗濯機に引退しろ引退しろとプレッシャーをかけているのである。しかし私の気持ちは未だこれっぽっちも伝わる様子がなく、我が家の洗濯機は「大丈夫っす!自分まだやれるっす!」とばかりに今日も調子良くまわっている。

好きなものをキャラクター化してみたら

「はたらく細胞」が実写映画化されるらしい。佐藤健が白血球になって暴れまわるというだけでもう面白そう。

wwws.warnerbros.co.jp

原作漫画が発売された当時は「細胞の擬人化」という斬新な設定が話題になった。それから10年くらい経った今はあらゆるものが擬人化、キャラクター化される時代である。私が住んでいる市にはご当地ゆるキャラがいるし、近所を走るモノレールは萌えキャラになっている。

現実では極小の白玉団子にしか見えない白血球も、擬人化されて佐藤健になれば途端に面白くなる。作者と佐藤健がすごいだけのような気もするが、この手法を使えば今までエッセイのネタとしては扱いにくかったモノも擬人化・キャラクター化することで扱いやすくなるのではないか。

そう思い至り、ちょうど書きたいネタがあったので私もキャラクターを考えてみた。

名前は「バニラちゃん」だ。

私の大好物、レバニラ炒めの化身である。バニラアイスではない。

レバニラ炒めなら「レバニラちゃん」だろうって?そんなこってりした名前のキャラクターに誰が興味を持つというのだ。名前はキャラクターの第一印象を決める大事な要素。やさしくて甘い感じがする「バニラちゃん」の方が良いに決まっている。 誰ですかタイトル詐欺って言ったのは。

まあ聞いてほしい。 レバニラ炒めについてはずっと書きたいと思っていた。でもどうしても書けなかったのだ。

「レバニラ炒め」という言葉それ自体が何となくこってりしていて脂っこい感じがするでしょう? レバニラ炒めについて語るということはレバニラ炒めという言葉を連発するわけで、それはつまり絶対こってり感強めの内容になってしまうというわけで、結果書いていても読んでいても胃もたれしそうな文章になってしまうわけ。

なるべくおっさん感を薄くして、20代が書いたかのようなさっぱり爽やかなエッセイを書いていきたい私としてはそんな文章を公開するわけにはいかないのだ。

そこにきてバニラちゃんの登場である。 こってりしたレバニラ炒めという概念が、優しくて甘い雰囲気のバニラちゃんというキャラクターへと進化するのだ。 かわいらしげなキャラクターに擬人化してしまえば、レバニラ炒めについてどれほど熱く語っても、なんやかんやでさっぱり爽やかな感じになるはずである。

ということで実際どれくらい爽やかな話になるか試しに書いてみよう。 私とレバニラ炒め、もとい私とバニラちゃんの出会いについての話だ。

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あれは社会人になって3,4年目くらいの頃。 大阪の心斎橋で働いていた私は、通勤がしんどいからという理由で会社から徒歩15分くらいの場所にアパートを借りて一人暮らしを始めた。

心斎橋周辺は昼も夜も多くの人で賑わっており、それを迎え入れる様々な店が軒を連ねている。飲食店が多くて食べるにも飲むにも困らないし、大通りから一筋入れば大人向けのお店で遊ぶこともできる。 新しい店を開拓するのが毎日の仕事終わりの楽しみだった。

そんな開拓中のある日、「ここはまだ入ったことがないな」と目についた店にフラッと入った。

店員に案内されて席につく。 当店はバニラちゃんがイチオシですよ、とおすすめされた。

バニラちゃん。 この界隈でバニラちゃんという子が一部の客層から熱狂的な人気を集めている、という話は聞いたことがあった。実際人気があるようで、今もあちこちのテーブルから注文されているのが聞こえてくる。

かなり好き嫌いが分かれるという噂も聞いていたので悩んだが、おすすめするからにはきっと良い子なのだろう…と思い切ってバニラちゃんを注文することにした。

「…お待たせしました」

現れたバニラちゃんの姿に私は一瞬で魅了された。

透けるように薄い衣。ツヤツヤと光を反射する肌。艷やかなこげ茶色の髪にはエメラルドのように煌めく髪飾り。そして何よりもその身体から発せられる魅惑的な香り。その食べてしまいたくなるような香りが私から冷静な判断力を奪う。

そんなバニラちゃんが「さあ召し上がれ」と言わんばかりに無防備な姿で私の前に横たわり、こちらに手招きしている。

「い、いただきます…!!」

そんな誘惑に抗えるはずもなく、もうどうにもたまらなくなった私は挨拶もそこそこにバニラちゃんにむしゃぶりついたのだった。

無我夢中でバニラちゃんを味わっていたら、あっという間に終わってしまった。もう少しゆっくり楽しみたかったが…とても我慢できるものではなかった。

その1回ですっかりバニラちゃんにハマってしまった私は、それから毎週のように会いに行くようになった。バニラちゃんとのめくるめく時間に酔いしれ、時には一緒に餃子を食べたり、酒を飲んだりして楽しんだ。

そうして飽きることもなく通い続け、気づけば初めて会った日から数ヶ月が経っていた。

当時私はまだ結婚はしていなかったが今の妻とお付き合いしていた。バニラちゃんのところに通っている事はもちろん内緒である。妻がそんなことを許すはずがないし、バニラちゃんは妻が苦手とするタイプだ。

妻とはまだ一緒に住んでおらず、会うのはいつも週末。バニラちゃんに会いに行くのは平日の夜なのでばれることはない。 そう思って安心していたのだが…。

ある週末。 待ち合わせ場所に現れた妻が私の前でピタッと立ち止まった。いつもよりも少し遠い距離。スンッと笑顔が消え、探るような目でこちらを見ている。…イヤな予感がする。

「…ど、どした?」

落ち着け…まだ焦る時間じゃない。動揺を見せるな!

妻が言い放つ。

「また太ってる…!!さてはなんか太るもん食ってんな?!」

ぎゃあ!見た目でばれた!

バニラちゃんの店は「お手頃価格でボリュームたっぷり」が売りの中華料理店。そんなお店で毎週のようにバニラちゃんと一緒に餃子やらビールやらを飲み食いしていたら…。みるみるうちに体重が増えていったのだ。

健康診断で先生が「うん肥満ですね」とためらうことなく宣告してくるくらいの太りっぷりである。社会人になりたての頃の私は普通よりちょっと痩せているくらいだったのだから、激太りである。そりゃ妻も気づくわという話である。

ごまかしようのない証拠をつきつけられ、妻に問い詰められた私はバニラちゃんのことを白状するしかなかった。

その結果当然ながら店に通うことを禁止され、体重が戻るまでダイエットに励むことを約束することになるのだった。

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書いてみたら「中華料理店でレバニラ炒めを食べすぎたら太っちゃった話」が「いかがわしい店で一目惚れした子にハマったら妻にばれちゃった話」みたいになった。

これがキャラクター化の効果か…!!

それは良いけどまったく爽やかな話になっていない。いかがわしい話なんておっさんの大好物ではないか。書いてて楽しかったわ。 もしかしてレバニラ炒めかバニラちゃんかという話ではなく、書き手がおっさんである時点で既に手遅れだったのか。

ところで私自身は当然ながらこれがレバニラ炒めの話だと分かっていたはずなのだけど、書いているうちにだんだんバニラちゃんの存在に慣れ、書き終わる頃には自分が本当にいかがわしいことをしていたかのような気持ちになっていた。罪悪感が甚だしい。 妻の教育の賜物なのか、それとも私の心根の素直さ故なのか。きっと後者だがとにかく妻に謝らなければ!という気持ちがフツフツと湧いてくるのだ。

しかし仮に私が「バニラちゃんの件はすまんかった」と謝ったとして、妻からしてみれば「…なんのはなしですか?」となるのは間違いないわけで…さてこの気持ちは一体どこに持っていけばよいのか。

私はメキシコに行きましたか?

記憶というのは、それが遠い過去であればあるほどぼんやりしてくるものだ。

40代にもなると幼少の頃の記憶なんてもはや、ラノベで異世界転生した主人公が高熱を出して思い出す前世の記憶と同じくらい曖昧なものになっている。

そんな幼少期の記憶らしきものをふとしたきっかけで思い出したとしても、それが本当に自分が体験したことなのか、それとも誰かに聞いた話なのか、はたまた風呂で妄想したものなのか…確信なんて持てない。

いや幼少期の記憶どころか、1年前の記憶ですら危うい。 ついこないだも「これは面白いものになったぞ!」と自信満々でエッセイを書き上げた後でふと、どこかで読んだ内容だな...と思って調べたら何ヶ月か前の自分がまったく同じことを書いていて戦慄した、なんてことがあった。幸い公開前だったので最悪の事態は避けられたものの、あれはなかなかの恐怖体験だった。あまりに怖かったので今回の内容も既に書いていないか念入りにチェック済みである。

話を戻そう。 なぜこんな話を始めたかというと、幼少期にメキシコへ旅した時のことを唐突に思い出したのだ。

乾燥地帯をひた走るボルボエステートっぽい車。運転しているのは母。後部座席には小学校低学年くらいの年齢の私と妹が乗っている。 当時両親と私たち兄妹は父の仕事の関係でアメリカ南部のジョージア州に移り住んでいた。そのアメリカの自宅を遠く離れ、父を除く母子3人でメキシコを旅している場面だ。

長いドライブの末、我々は目的地である街にたどり着く。 雑多な町並みを抜け、とある2階建てのアパートの前で母が車を停める。車を降り、アパートの一室のインターホンを鳴らす。母の後ろで待つ私と妹。ドアが開き、中からげっそりやつれた男性がふらふらと出てきた。

父である。

出張でメキシコに滞在していた父は現地の水に当たったのか嘔吐と下痢が止まらなくなり、動けなくなっていたらしい。「助けて死にそう…」という父からのSOSを受けた母が私達兄妹を連れ、はるばるメキシコまで助けに来たのだ。

持参した薬と母の手料理と私たちの笑顔による癒やしで、瀕死だった父も無事復活。数日で仕事に復帰できるところまで回復した。任務を終えた我々は「もうやだ帰りたい」と弱音を吐く父を励ましつつ置き去りにして、ひとしきりメキシコ観光を楽しんでからジョージア州の自宅に帰ったのだった…。

そんな忘れ去っていた記憶が、バーガーキングの期間限定"メキシカン"アボカドワッパーの広告を見ていた時に突然蘇ったのだ。

ブリトーやらエンチラーダなどのそれっぽいメキシコ料理ではなく、メキシコにはなさそうな期間限定バーガーで記憶が蘇ったというのがちょっと納得がいかないところではあるが、ともあれ思い出したのである。

この40年間自分がメキシコと縁があることなどすっかり忘れて過ごしていたが、思えば何度か無性にメキシカンな味が恋しくなることがあった。きっとあのメキシコで過ごした日々のなかで私のどこか深い部分にメキシコ愛が刻まれていたのだろう。決して何年かに一度訪れるメキシカンブームに踊らされていただけではないはずだ。

さてこのメキシコ旅行というかメキシコ救出大作戦というかを思い出した時は子供時代になかなか面白い経験をしていたんだな、とエッセイのネタができた程度にしか捉えていなかった。しかし改めて自分の頼りない記憶力を省みた時に、果たしてこの記憶が本当に私の経験に基づいた記憶なのか…ちょっと不安になった。

そういえば思い出したその日はちょうど「父の日」だった。 父のことに思いを馳せる日である。そんな父のことを思い出しやすい状況で、バーガーキングのメキシカンアボカドワッパーのチラシを見て興味をひかれた私。そんな私の妄想力が爆発して偽りの記憶が生み出されたという可能性はないか? 私は本当にメキシコに行ったのか?

もはや私の記憶だけでは確信を得ることはできそうにないので、(私の妄想でなければ)同じ経験をしたはずの両親と妹に直接尋ねてみた。

しかし悲しいかな彼らも私と同様に年月を重ねているわけで。 私と同じかそれ以上に忘れっぽくなっているわけで。

「あーあったあった!あった…あったっけ?」とだいぶ疑わしい反応が返ってきた。私の妄想である可能性が全然小さくならない。むしろ彼らの脳に行ってもいない偽りのメキシコの記憶を植え付けてしまったかもしれない。

当事者全員の記憶が曖昧なのでもはや答えは出そうにない。そう諦めてみんなで昼でも食べに行こうかと立ち上がったその時、あいつの姿が脳裏に浮かんだ。 メキシカンアボカドワッパーだ。

そもそもこのメキシコの記憶が蘇る発端となったメキシカンアボカドワッパー。広告を見ただけであれだけのことを思い出すことができた。 ということは、バーガーキングに行ってメキシカンアボカドワッパーに直接かぶりつけば、より鮮明に記憶が蘇るのではないか?

これは試す価値がありそうだ。

ポテトとドリング付きのセットにしたら1000kcalを超えていて、ダイエットで減り始めた体重が一瞬で元に戻りそうだが…この際やむをえまい。最近我が家の近くにバーガーキングの店舗ができて気になっていたのだ。

食べに行こう。食べた後ですべてを思い出した自分自身に問おう。

「私はメキシコに行きましたか?」と。

とびら開けて

ねえ、ちょっとおかしなこと言ってもいい?

というのはディズニー映画「アナと雪の女王」の序盤でアナとハンスが歌う「とびら開けて」という曲の歌い出しの歌詞だ。しっかり覚えている。何回も聴かされたから。

アナ雪はうちの娘たちが大好きなディズニー作品である。 そして先日ディズニーシーで新しくオープンした「ファンタジースプリングス」にはそのアナ雪のエリアがあるらしい。

アレンデールに行けると聞けばさすがに出不精の娘たちも飛びつくことだろう。そう思って誘ってみたのだけど…まだいいと断られた。

まだいい、ってどういう意味だ。

ひらパーとUSJには行くけどディズニーリゾートはまだ早いらしい。夢の国をどんな大人向けの国だと思ってるんだろうか。プリンセスや王子様を侍らせてお酒を飲む場所とかじゃないよ?

二人ともアナ雪やアラジンのDVDを何十回と観ていたので興味はあるはずなのだけど、一周回って間違ったイメージを持ってしまったのかもしれない。

うちの娘達は一度何かの作品を気にいるとそれを何度も何度も連続で見るという恐ろしい習性を持っている。同じ映画を3日連続で観たり、ひどい時はエンディングを観た直後にまた平気な顔をして最初から観始めたりする。

まあ楽しみ方は人それぞれ。別に繰り返し観たいなら観れば良い。そう思って好きにさせたのが良くなかった。 当時DVDを観ることができたのはリビングのテレビのみ。そんな家族が集まる場所で昼食の時もおやつの時間も夕食の時も同じ映画を繰り返し見せられる日々が始まってしまったのだ。

地獄のアナ雪マラソンである。

何回も観ているうちに当然ストーリーも覚えてしまい…パパママお願いだからもう船に乗らないで!アナ、何回同じ男に騙されてるの!ああまたエルサが氷の城を建てては壊している。お前ら何回同じことを繰り返してるんだちゃんと話し合え言葉が足りんこうなったら私が行って解決するしかない…とだんだん現実とアレンデールの区別も曖昧になっていく。

この地獄のマラソンはアナ雪だけにとどまらず、「アラジン」や「塔の上のラプンツェル」でも開催された。

それだけ何回も観た作品というのは大抵の場合うんざりしてあと10年は観なくていい、という気持ちになる。 しかし作品によってはこの狂気のマラソンがある種のランナーズハイ(走ってないけど)ともいうべき興奮をもたらすのか、そこにあることも知らなかった新たな扉が開いて、ただならぬ愛着が湧いてしまう場合がある。

私の場合それが「塔の上のラプンツェル」マラソンで起こった。

アナ雪と同じく塔の上のラプンツェルも目を閉じれば頭の中で最初から最後までシーンを再現でき、歌も全部歌えるくらい観た。

ところがこの作品に限ってはマラソンが終わってもイヤになっていないのである。それどころかまだ観たい、ずっと観ていたいという気持ちが湧いてくる。

何が私を惹きつけるのか?ラプンツェルと他の作品の何が違うのか?しばらく考えてハッ!と気がついた。 他のプリンセスは靴を履いている。だがラプンツェルは…裸足だ。

私はラプンツェルが裸足だから好きなのか?裸足フェチだったのか?普段は靴や靴下で隠されている足が見えてしまっているという状況に興奮を覚える性質だったのか?

自覚はなかったがもしそうだとしたら、なんと人に話しにくい性質だろうか。 「ねえ、ちょっとおかしなこと言ってもいい?わたし裸足フェチみたいなの!」とアナのモノマネをして陽気に伝える私。妻が「ヒッ」と慌てて足を隠す場面が目に浮かぶ。

いや3作品を比較しただけで裸足フェチだと決めるのは早計である。他の好きなディズニー作品と比較すればまた別の、もう少しおおっぴらに話しやすい共通点が見つかるはず。 たとえばちょっと前の作品で言えば「眠りの森の美女」は割と好きだったのだけど…と調べたらオーロラ姫もばっちり裸足キャラだった。もうダメだ。

後はお前が認めれば済む話だぞ、と言わんばかりに裸足フェチの証拠が出てきそうでこれ以上調べるのが怖い。「眠りの森の美女」を観たのなんて小学生くらいの時だろうにその頃からフェチの扉が開いていたのかと思うとそれも怖い。

しかし落ち着いて考えてみると、「裸足フェチ」という言葉のインパクトが強すぎて条件反射で「ち、ちがいますよ!」という気持ちになっていたが自分の新たなフェチが見つかったというのはもしかして喜ぶべきことなのかもしれない。

それはつまり今まで美味しいと思っていなかった食べ物が実はとても美味しいということに気づいたのと同じであり、新たな好物として受け入れてこれから積極的に楽しんでいけば良いのでは…良いのか?

分からないがそれはそれとしてこんな話ばかりしていたらラプンツェルさんに「お前私の足しか見てなかったわけ?」とフライパンで殴られそうなのでこの話はここまでにしておこうと思う。

今さらだがディズニー作品を語るエッセイというのはもっとこう…なんていうか…爽やかな内容であるべきだった。

消えたカスタードパイ

人間として40年、親になって10年以上が経つベテラン大人だが、それでも先のことを読むのは難しい。特に天気と娘の気持ちの読みはだいたい外してきた。

私は基本的に在宅勤務なので会社に行くのは年に1、2回くらいだ。しかしなぜかそういう日に限って電車が止まったり大雨が降ったりと何かしら問題が起こり、気持ちよく出勤させてくれない。

今日はまさにそういう日、今年初の出社日なのだけど、外に出たら土砂降りだった。 晴れる日の多い5月を選び、週間天気予報でチェックもしていたのに、そんなの関係ないとばかりのえらい土砂降りである。昨日は快晴、明日も快晴の予報でなぜ間の今日が土砂降りなのか。雨男への仕打ちだとしてもあからさますぎやしないか。

予定を色々入れてしまっているのでやめるわけにもいかず、しかたなくビショビショになって出社する。傘はさした。さした上でのビショビショだ。 同僚から、なんでよりによってこんな天気の日に来たの?…という顔をされたけど私だってできれば晴れた日に気持ちよく出社したかった。

気分を切り替えて仕事に取り組み、退勤。雨は止んでいる。

帰る前に駅の地下街に寄り道する。家族へのおみやげのスイーツを買うのだ。 年に数回しか出社しないので、出社した時は家族に都会のおみやげを買って帰る。良いおみやげを選べば褒めてもら…喜んでもらえる。

いつも行列ができているアップルパイ専門店が空いていたので、今回のおみやげはアップルパイにする。次女が最近動画でアップルパイを見て食べたいと言っていたので喜んでくれるはずだ。

この店のアップルパイは普通のパイを二つ折りにしたような形で、サイズは一人用のミニサイズになっている。こういうのをアップルターンオーバーというのだろうか。味はプレーンの他にショコラなどいくつか種類がある。

なんとリンゴの代わりにたっぷりクリームが入ったカスタードパイもある。私はクリームが詰まったスイーツに目がないので、このカスタードパイをぜひ食べたい。

我が家では持ち帰ったおみやげを選ぶ順番は決まっている。誰が買ったかは関係ない。娘たち>妻>私…の順である。

つまり私が食べるパイはここでどんなチョイスをするかで決まるということだ。カスタードパイにありつくには、妻と娘二人が選んだ後にカスタードパイが残るようにする必要があるのだ。

天気の読みは失敗したがここの読みは失敗するわけにいかない。

スタンダードなものが好きな次女とチーズ好きな妻にはプレーンと期間限定のクリームチーズ入りのアップルパイを選んでおけば間違いない。 問題は長女がどう動くかである。長女はアップルパイに大して興味を持っていないので、その場の雰囲気で選ぶと思われる。「期間限定がいい!」となったら妻が譲って別のパイを選ぶだろうし…そうなると一気に組み合わせの幅が広がって…。くっ、正解が読めん…。

思い切って4つともカスタードパイにするか? いやしかし自分が食べたいからといってアップルパイ専門店でアップルパイを1つも買わないのは間違っている気がする。家族にも説明できない。

しばらく悩んだ末にプレーン、クリームチーズ、ショコラの3種のアップルパイとカスタードパイを購入することにした。アップルパイ専門店のおみやげなのだ、きっとみんなアップルパイを選びカスタードパイが残るだろう。

帰ったら珍しく長女が出迎えてくれた。 と思ったらパイの入った紙袋を奪うとすぐにリビングへ去っていった。 おみやげが目当てか!だとしても少しは取り繕え!

手を洗ってリビングに入ると私の手を離れたパイたちがテーブルの上に広げられ、妻と娘たちが「ほうほう今回はアップルパイか」と確認している。そこそこ喜んでいる様子。店の選択は間違っていなかったようだ。

それぞれのパイの種類について説明する。アップルパイ専門店なのでアップルパイがオススメである旨をさり気なく伝えるのも忘れない。嘘ではない。

結果、目論見通り次女がプレーン、妻がクリームチーズ、長女がショコラを選択し、残ったカスタードパイが私に回ってきた。ククク…読み勝ったぞ!

3人が早速食べ始める。

次女はアップルパイ好きなだけあって喜んで食べている。心配だった長女も気に入ったようでご機嫌にパクパク食べている。妻はアップルパイがそれほど好きではなかったことを途中で思い出したらしく、「リンゴいらんな…」と台無しな発言をしている。

私も念願のカスタードパイを一口。厚いのに軽いサクサクのパイ生地、そしてそこから溢れ出るカスタードクリーム。最高である。

「やっぱりクリームの詰まったスイーツは最高だねぇ」とおデブ発言をしていたら、隣に座る長女にカスタードパイを皿ごとかっさらわれた。

「私は他の人がおいしそうに食べてるのを見ると奪いたくなるの!」

高飛車お嬢様のようなセリフをハッキリ言った。普通そういうのは思っていても口に出さないものじゃないの?! 自らの欲求に正直すぎる長女は奪ったカスタードパイをかじり、「あ、こっちの方が好きかも」と言ってそのまま食べ始めてしまった。 これは返ってきそうにない。自分のショコラアップルパイを代わりによこす様子もない。ジャイアンだ。うちにジャイアンがいた。将来友達の彼氏を「おいしそう」と言って奪い取ったりしないかパパは心配です。

結局カスタードパイは一口しか食べることができなかった。 途中まではいけそうだったのに残念である。

今回の正解は「4人分パイを買い、さらに自分のパイが奪われることを想定してもう1つ買っておく」だったということだ。これ想定できる人いるの?

明日の天気も娘の気持ちも当分読めるようになる気がしないわ。 2つのパイを平らげてちょっと苦しそうな長女を横目に、妻がパイからよけたリンゴをかじりながらそうしみじみ思った。